Profile

R60のフリーライター、クリエイター
【生年月】1966 年5 月生まれ(おうし座)
【出身地】和歌山県。5歳より27歳まで大阪・堺市在住。
【現住所および家族構成】和歌山県内の山間部にある配偶者の実家にて娘、孫、義両親とともに生息(笑)
【最終学歴】1990年、関西大学文学部史学地理学科・卒
【性格】口から先に生まれてきた?と言われるくらいによく話す。
【趣味】ギター、読書、喫茶店巡り、古着屋巡り
【現況】2024年より「LIFEジャーナリング」として日々の生活視点から目標管理や感情整理をメインとしたジャーナリング研究活動を開始。オンラインセミナーによる指導も行う。
また、自己啓発、メンタル系の図書を中心に読書セラピストとしてオンライン読書会「くつろぎ読書会」を随時開催。
History
ビジネス本著者からラジオDJへ

私、マツモトヨシヒコは5年間の印刷会社でのデザイナー勤務の後、2008年頃から感謝はがきアドバイザーとして「手書きはがきによるコミュニケーションの大切さ」をテーマに講演活動をしていました。
そこから約7年間に渡り関西圏の商工会、商工会議所、青年会議所等における、主に女性会員である経営者、セールスパーソンらを中心に延べ1,500名以上に向けはがきの指導を行ってきました。
こうした活動が認められ、明日香出版社より初の著書「ー入社3年目までに読むー接客のプロが新人のために書いた接客の本」(山根暁氏と共著)」を上梓。目立ったキャンペーン等一切行わないながらも、重版8刷、Amazon ビジネスマナー部門ランキング最高3位を記録しました。

さらに、2015年には、キヤノンプリンタPIXSUSのキャンペーンパーソンとして日経トレンディの特設サイトにインタビュー掲載されました。

出版をきっかけにAMラジオ局和歌山放送にて自身制作の番組「週刊ガラRADIO」(2013-2019年)のDJパーソナリティとしても活躍。洋楽中心の選曲に固定ファンに愛され、ブロードキャスターとしてラジオ界の大御所であるピーター・バラカンさんや地元ミュージシャンの濱口祐自さんへのインタビュー、地元の経営者様など多数の方にゲストにお越しいただきました。
番組は毎週日曜夜の放送で6年間合計放送回数は313回。私は全放送一度も休みなく出演しました。毎月最低2名のゲスト様にお越しいただいてましたので、番組内でインタビューを行った人数は延べ150名以上にも及んだことになります。

2014年には日本メンタルヘルス協会認定基礎心理カウンセラーライセンス修了。ホテルニューオータニの大広間で盛大に行われた修了式では約200名の同期生の中でたった3名だけ選ばれる修了発表者のうちのひとりとして登壇させていただきました。学びの成果とともに将来の夢など、協会代表でご自身も心理カウンセラーとしてテレビ、ラジオ等で大活躍なさっている衛藤信之先生もご同席の前で語らせていただきました。
修了後には学んだ経験を活かし、和歌山県紀美野町野上国保厚生病院、県看護協会看護師職能委員会の講師として登壇、さらに和歌山県有田川町白馬中学校PTAからお誘いをいただき中学生と先生方約50名の前でオープンハート(自己開示)でいることの大切をお伝えする講話もさせていただきました(いずれも2015年)。
誕生から講演活動に至るまで…
ここで少し、時間を大幅に戻します。
私は1966年生まれのおうし座生まれ。この年はビートルズが最初で最後に来日公演を行った年です。

中学生の時に初めてチューイングガムのCMで流れてきた「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いて以来、45年以上に渡るファン歴となります。好きが高じて2か月だけ助っ人でビートルズショップでアルバイトをしていたこともありました。
小学高学年からギターを始め、結婚まで15年間続けていました。昨年(2023年)になって高校当時のバンドメンバーからの誘いで30年ぶりにギターを弾く機会に恵まれました。指の動きがおぼつかない中でステージにも立つことができました。
大学卒業後は食品卸売会社勤務等を経て、輸入レコード店に転職。在職中は通販部のリーダーとして国内外の仕入れおよび販売を担当しました。
お店には元レッドツェッペリンのジミー・ペイジ氏も来店。ご本人とカタコト英語ながらお話することもできました。
また、イギリスのロンドンとバーミンガムへレコードやアーティストグッズの買付旅行もさせていただき、初めての海外渡航も経験させていただきました。
順調で楽しい日々の中、結婚を機に和歌山へ転居となり通勤不可能となり円満退職となりました。
和歌山では平成不況の折でなかなか再就職の困難な中で、子育てをしながら独学で学んだパソコンを使って、SOHOによるDTPデザイナーとして転職。2002年からは印刷会社のデザイナー職で現場リーダーとして5年間勤務しました。
勤務期間中ではチラシ、名刺、ポスターはもちろん、広報誌やラベルロゴなどデザイン制作からCTP製版までを担当しました。また、プロジェクトリーダーとして印刷会社としては県内2番目のプライバシーマーク認定取得に成功、取得後はCPOとして更新業務の指揮を執りました。
ようやく掴んだ順調な日々でしたが、残念ながら会社はあえなく倒産することになってしまいました。
そして記述の通り、フリーランスとしてデザインとともに講演活動を始め自著出版により多くのみなさまとつながることができました。長年の夢だったラジオのお仕事もさせていただきました。
「もう自分の未来はこれで安泰やん」
と自分自身、疑うことはありませんでした。
大きな挫折からの再スタートで見えてきた新たな役割
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。一見華々しいようにも思える経歴、と映った方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、私ほど失敗の多い人間もないだろうとその後、長く深く悩みの中に入っていったのです。
よろしければもう少しだけおつきあいください。

2015年頃から講演活動などがうまく回らなくなり、経済面でのプレッシャーがピークに達しました。同時期に出版した著者の方々がその後もドンドンと売れていくのを尻目に、一方の私と言えば精神的にも前向きになれず、寝床から起きることが苦痛になりました。電話の呼び出し音にもビクッとするような毎日で、徐々に家族含め周囲とのコミュニケーションもうまくいかなくなり半ば引きこもり状態となっていました。
あれほどメンタルについて自学も含め多くを学んだにも関わらず、早々に自ら心をシャットダウンしてしまっていました。盛大に成功を祝ってくださった方に申し訳ない気持ちが先走り、SOSを出すこともできず孤立状態に陥いりました。今思えば、毎日が自ら作り出した負の世界の中で不安と緊張が止まなかった日はありませんでした。
やがて一人暮らしの実母が大病を患ったこともあり、一時自宅を離れると同時に日中は時給ベースでの派遣社員として働くことを決断しました。それまでの自分と思い切って別れを告げ「ゼロからスタートしたい」という気持ちもありました。
会社組織に所属するのは10年ぶりでしたが、大手生命保険会社にはじまり(当時は「時給1,000円、交通費なし」でした苦笑)その後印刷会社、大手広告代理店、市町村役場などいろんな現場に行かせていただきました。
パワハラに近いことを受けた現場もありましたが、それでもごく少数の友人や職場の仲間たちに助けられながら自己回復してきました。
最後の現場はコンサルティング事務所でした。多くの企業経営者とのやり取りが必要な現場でした。仕事はライターとしてコロナ禍であえいでいる多くの企業との面談とお持ち込みされた事業計画書などビジネス書類作成のサポートをさせていただきました。

かねてより講演活動やラジオでのインタビュー経験などで多くの経営者とお会いする機会があった私は持ち前のコミュニケーション力と仲間の協力も得ながら、100社近くの企業から喜んでいただく結果が出せました。
しかし、中には業務が合わないことや厳しい締め切りのプレッシャーに耐え兼ね、次第に心身ともに負担を感じる仲間も増えてきました。やがてひとりふたりと退社の言葉もなく現場を去っていくのを何度も見送るしかありませんでした。
私自身も同様にプレッシャーとやりがいが交錯する中で、年齢的にも一番年長だったこと、勤務期間中に配偶者が長年の無理がたたり内臓疾患で入院し、退職となるなど大きな節目を迎えることになりました。
大変お世話になりながらも、私ももういよいよ還暦が間違にせまった年齢。これが最後かも知れない、と思い契約満了にて退職となりました。
私と同年代に限らず若い人も含めて、日々戦争のような厳しい環境の中で成果を出すことのむずかしさ。同時に容易に転職のしづらい経済不況など、私たちは常に緊張でしばりつけられているかの如くです。
失業給付をいただいている期間にもやはり当時の同僚たちとの時間が頭から離れることはありませんでした。退職後すぐは具体的なビジョンもありませんでしたが「今度自分が何かやる時にはそうした緊張の少ない、自分らしいゆるやかな時間を誰かとシェアできることを、やろう」という思いが日々頭をもたげてきました。
そしてあっという間に失業給付が切れることに。再就職が叶わなかったため、離れていったかつての仲間たちのこと、同じように困難を極める転職活動に悩みながらもそのループから逃れられない人たちを思い、一念発起して「今自分がやれることからやってみよう。」と決意し考えを巡らせました。
「今ここ」からできることをやってみた
そこでふと思い立ったのが講演活動をしていた頃のことでした。本で読んだ小さなメモ書きに目標を書いて財布に入れておくことで目標達成できたのです。

さらに派遣社員となった頃から、将来自分がやりたいこと、会社で起こった様々な出来事に対する心の葛藤とともに前向きな考えを結びに書き加えて心がラクになっていたことなど、節目節目で手書きで綴っていたノートが感情整理に役立ったとあらためて思い返したのです。
そして前職の退職前に買って読んだ「ずっとやりたかったことをやりなさい」という本のモーニングページという、毎朝起きてすぐ自分の思いを止めることなくノートに書いていく、ということを始めたのです。
するとそれまでやってきたメモ書きによる目標達成、心の葛藤を書き綴ったノートによる感情整理との両方が体現できる「ジャーナリング」という手法とわかり、それを伝えていけばいいのではないかと考えました。
こうして、学び合える同志が緊張する毎日から離れ自分を見つめ直し前向きになれる穏やかでゆるやかな「くつろぎ」の時間と体験のできる場所をオンラインで作ろう!と始めたのが「LIFEジャーナリング」セミナーでした。

さらに、私は読書が好きです。これまで多くの本に助けられラッキーなことに自著出版も果たせました。
同じように今日一日を生きていくために学んでいる方々に心理的安全性の高い「くつろいだ」場を提供し、知見の広がりとともにリラックスした人とのつながり が実感できる場としてオンラインによるマンツーマン読書会「本読み倶楽部くつろぎ」も立ち上げることにしました。多くの本と著者に感謝しながら。そして、徐々に賛同のお声もいただくようになりました。
これに加えて、「本を読むのもニガテ」「日記とかつけるのも面倒」という方向けに、気軽に話したいことを話せる場としてオンラインによる雑談のできる場としてオンライン喫茶も始めることにしました。
「家族や友人には話づらいけど、誰かに聞いてもらいたい」など、元ラジオDJの私が喫茶店のカウンターにいるマスターのごとく、オンラインにてお相手いたします。
「これから」目指すもの
このような取り組みを考えたと同時にこれからのビジョンを立てました。
「くつろぎの輪」で世界を満たす
それは以下のもとに実現してほしいというものです。

私含めともに学ぶ仲間がそれぞれストレスフルな世の中をゆるやかに過ごすための自己を目指す
そのために必要な、参加者それぞれの「人生のミッション」に気づいてもらうための環境づくりを行う
各自が得た気づきを実践していける自信と応援し合える仲間を得るためのあたたかい場づくりをする
趣旨に賛同し、仲間がそれぞれ主体性を持ち、自らが表現したいことを発信できるコミュニティを 各自が創出し、活躍できる人材を輩出する
このような私の「これから」のミッションが「今ここ」の私として存在しています。
私と一緒に「くつろぎの輪」の中でともに学び応援し合える…
そんな居場所がいつもあること、そこで実感してもらいたいのです…
あなたは決してひとりではない
ということを。
あなたのご訪問、一緒にくつろぎあえる仲間としてのご参加をお待ちしています。
オンライン喫茶「くつろぎ」でこころをゆるめてください
オンライン喫茶「くつろぎ」では、元ラジオDJのマツモトが、心理カウンセリングの基礎知識を活かして、あなたの気持ちをリラックスしながら引き出します。1対1で深刻すぎないお話や相談をお伺いしますので、誰かに聞いてほしいことがあれば、お気軽にご参加ください。