【音楽】轟音マイメモリー~Teenage Fanclub - GRAND PRIX

マツモトです。最近はインスタグラムのストーリーズで思いつきで好きな曲をピックアップし、そこに短い文章をくっつけて「Short Essay」として紹介している。
いわば昔やらせていただいていた私のラジオ番組でやってきたことをそのままストーリーズでギュッと短くしてやっている、というわけです。

このアルバムも元々インスタストーリーズでエピソードをくっつけてアップしようとしていました。しかし、このバンドに関しては少々長くなりそうな私的想い出話になりそうとわかっていた。しかして、番外編としてロングエッセイとしてこちらにアップすることにしました。

まずはバンドの紹介から。

今回ご紹介するのは90年代の英国スコットランドのバンド Teenage Fanclub です。

 バンドについて

Teenage Fanclubは、1989年にスコットランドのグラスゴーで結成された5人組オルタナティブロックバンド。
最初の出世作として「Bandwagonesque」(1991年)がヒット。続くこの「Grand Prix」(1995年)でさらににその人気に拍車をかけた。キャッチーなメロディとハーモニー、轟音のようなギターサウンドが特徴。

 あのOASISと同じレーベル

最近世界中を大騒ぎさせている英国バンドのオアシス…いや、オエイシスという発音が正しいのだとかナントカ当時もそんなことが日本のファンの間で笑い話になっていたが(笑)。そのオエイシスと同じ「Creation」というレコードレーベルに所属していたのがこのTeenage Fanclubだった。

このアルバムが出た時のことをよく覚えている。私は当時大阪の小さなレコード店で働いていた。その頃はそのオエイシスを筆頭にいわゆるブリットポップというイギリス(以下:UK)の新進気鋭の連中による一大バンドブームが起こっていた。このアルバムはそんなブームの最中に登場し、瞬く間に彼らの最大の魅力であるキャッチ―なメロディーと、全員ボーカルハーモニー、轟音のようなノイジーなギターサウンドで日本でもヒットし、私も一発でこのバンドの虜になってしまった。

 僕は小さなレコード屋のおにいさん

職場では毎日が好きな音楽に囲まれ、本当に楽しく自由に過ごさせてもらっていた。なおかつそれまで某食品関係のサラリーマンだった頃の年収を超える額の給料をいただいていた。好きなレコードも買えたし、行きたいところにも行けた。何よりお店で知り合った人たち。もはやお客さんか友達なのかわからないという人が何人も周りにいてくれた。

「好きなことをする方がお金にも人にも恵まれる」
今思えばそんな状態で普通に暮らしていた。それは今でもどこかカラダに染みついていて、その後妥協の連続で過ごしてきた自分はどこか心にいつも疑問を残してきたのかも知れないと思うことがある。

さておき、そんな日々の中である女友達(以下:Rさん)が紹介してくれた私より5歳年下の女の子がいた。その子はこのTeenage Fanclubの大ファンでメンバーとも話がしてもらえるくらいだ、と言っていた。

 思わぬ誤解

紹介されて1度会い、それからは電話で何度か音楽話をした程度だった。その頃私は結婚しており、それでも彼女はそんなことは気にしない様子で、いつもとても明るく僕より早口でたくさん話す人だった。

ある時、彼女を紹介してくれた女友達Rから

「どうも彼女の彼氏がマツモトさんにヤキモチ妬いてるらしいんですよ…」

と教えられた。Rは元々その彼氏さんの方と友達だったためその話を直接聞いたようだ。

ヤキモチもなにも…ただ電話で話してただけのつもりだったのでそれには少々仰天した。
私なんぞ、長い間、今で言うところの非モテの権化みたいな人間だと思っていた。なので、ぶっちゃけ「あのかわいらしい彼女から好かれるはずがない。結婚もしてるし」と思っていたのだった。

 イノセントガール

彼女は生粋のTeenage Fanclubのファンで自分でも同じようなサウンドのバンドをやっている、ということだった。

「マツモトさん、今度ライブ観に来てください!絶対ですよ!」

と彼氏さんの気持ちを知ってか知らずか、無邪気にも私を誘ってくれた。そして、一度だけステージを観に行ったことがある。

彼女はギターとボーカルを担当していた。そして件の彼氏さんはそのバンドのギタリストだった。バンド構成は当時流行っていたJUDY &MARYみたいな感じだったが、サウンドはTeenage Fanclubバリの轟音ギターを彼氏さんが鳴らしまくっていた。

ステージ後に女友達Rとともにステージ裏に挨拶に行った。ステージあがりで息があがりながらも「よかったですか~?」と元気で無邪気な笑顔で聴いてくる。彼女の向こうでは頼りなげな顔でこちらをチラチラのぞき込んでいる彼氏さんが見え、どこなく落ち着かず申し訳ない気持ちにさえなっていた。

 彼らが日本にやってきた

ほどなくしてTeenage Fanclubが来日することが決まった。
彼女から連絡があり

「マツモトさん、私、ステージ後のアフターパーティに呼ばれてるんですよ!一緒に行きましょうよ~。ダメですか?」

と事も無げにお誘いしてくれたのだ。

しかし、私の脳裏には当然あの彼氏さんの仏頂面が浮かばないわけがなかった。

 轟音の後の静かな終幕

そしてライブ当日、私はステージの右端3列目くらいで、彼女はお気に入りのリーダーのノーマンブレイクのいる左側の最前列付近にいた。ひとりで来ていた私をみつけると満面の笑みで手を振ってくれた。横には彼氏さんやバンドの仲間もいたようだった。

ステージは轟音サウンドに包まれ最高のボルテージで終了した。そして私はそのまま帰路につこうと会場だった心斎橋クラブクアトロを出て地下鉄に向かっていたところ

「マツモトさん!待って!マツモトさん!」

私を呼ぶ声がしたので振り向いたら、どうやら走って追いかけてきている彼女の姿が見えた。そしてその後ろには必死で彼女を止めようと手をつかみにきている彼氏さんが見えたのだった、

息を切らしながら彼女は

「マツモトさん、なんでもう帰るんですか?なんで?一緒に行きましょうよ。こんなチャンスめったにないと思うし…ね。行こう!ね。」

みたいなことを言ったので私は

「ごめん、ちょっと今日は帰るわな~。子ども待ってるし」
そう、私はちょうど長女が生まれたばかりだったのだ。

「…そうですか。わかりました。じゃあまた連絡しますね。」

彼氏さんにも頭を下げ、「またね~」とそそくさと駅へ、急いだ。

***

そして、その日から彼女から連絡が来ることは、なかった。
私からも連絡することはなかった。

それからしばらくして、Rから連絡があった。彼女たちがインディーズのレコードレーベルから声を掛けられ、デビューしシングル盤が出されたことを聞かされた。

私はそのレコードを見ることも聴くことも、なかった。

 今年になりサブスク解禁

未だにこの「GRAND PRIX」を聴くと彼女のことをふと思い出す。しかし、不思議だが彼女の名前が…思い出せないのだ(苦笑)。当時のアドレス帳…なんせ昔は手書きの手帳みたいのだからね(笑)…はもう当然ない。
歳を取る、ということを否が応でも実感せざるを得ない時が自分にもくるなんて。

今ごろどうしているのだろう。

いつも明るい彼女なら元気なおかあさんになっているかもしれない。そして隣にいる人はあの彼氏さんなんだろうか。

今年になってようやくこのアルバムがサブスクになった。
きっと彼女、彼氏さん…二人ともどこかで聴いているに違いない。

たかが流行のロックと言う勿れ。
30年経ってもあの頃の輝きは今すぐにでも甦る、のだ。

ちなみに彼女より彼氏さんの顔の方を私はハッキリと覚えている。
きっとどこかシンパシィを感じていて、自分と重ね合わせていたからかもしれない。

Top Image Photo by Hanny Naibaho from Unsplash

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