
“くつろぎ”こそ、僕にとって
最強の「リベンジ」だった。
最近ふと思ったこと──
僕が今、こうして“くつろぐ”ことを大事にしてるのって
もしかしたら「小さなリベンジ」なんかもしれへんなって。
昔の僕は、「ちゃんと」してた(つもり(笑))。
20代後半──
婿養子として都会からなじみのない田舎に移り住み
「郷に入っては郷に従え」を胸に
周りの言うことをちゃんと聞いて、マジメに働く。
子どもも二人になったし、もう今までの自分じゃいられない。
そうやってずっと自分に言い聞かせてた。

何十年もそんなふうに過ごして、右往左往して。
今また、59歳にして「無職」となってしまった僕──
本当なら、焦りまくってるはずのこの時間。
なのに、なぜか……肩の力が抜けてる自分がいる。
世間に対するリベンジじゃない。
「次こそ、誰かを見返してやろう」とか
「もっと成果を出して、今度こそ勝ち組になろう」
そんな感じのリベンジじゃ、ない。
あの頃、無理してた自分に会えたら、こう言いたい。
「そんなに頑張らんでも、なんとかなるもんやで。」
「周りはともかく、今の僕は、まぁ…とりあえず元氣で生きてるわ。」って。
無職。でも…意外と悪くない。
もちろん、まだ仕事は決まってへん。
収入も家族に頼りっぱなし。
そんな状況だから、
未来はもちろん、今日明日も不安でいっぱい。
でも、「早く何とかしないと!」って焦りよりも、
「今の自分を、そのまま受け止める時間」を
周りや、なんか見えない力が与えてくれてる氣がしてる。
それはたぶん──
仕事がなくなってから始めた「ジャーナリング」っていう小さな習慣が
そんな “外側への感謝” につながってるんだと、思う。

リベンジじゃなくて、和解。
起こった出来事を他人のせいにしない。
でも、自分を責めるのも、もうやめる。
「リベンジしたい」って思ったら、
まずはその氣持ちごと、そっと手放してみる。
「まぁ…ええやん」ってふぅ~っと深く息を吐く。
そして、ゆるんで、笑ってみる。
とにかく、「くつろいだ」状態を、選ぶ。
ダラけるでも、怠けるでも、無力感でもなくて。
余計なチカラを抜いて、自分に戻る。
自分でどうにもならんことには、無理しない。
その代わり、
「本当にやりたいこと」を見つけて、淡々と向かう。
本当の自分自身と仲良くする。
つまり、過去に対する感情と、和解する。
それが、僕にとっては、
“本当のリベンジ”だったんやと、氣づいた。
🌿 あなたにも、きっとある。
今、どんな状況でも、
ひと息つける「くつろぎ時間」は、ある。必ず。
あとは、その時間を少しずつ増やすだけ。
リベンジじゃない。諦めでもない。
「ホンマの自分」が行きたい場所へ、また歩き出すだけ。
もしこれ読んでくれるあなたが今の僕のような無職だったり
将来の具体的なことが見えづらくなっていたら
自分の本当の声、ぜひ聴いてあげてください。
それが、過去のあなた自身へのリベンジ…つまり
「ホンマの自分」の始まりかもしれへんから。
(次回へ続く)