終わりは はじまり

「何か」が終われば、それは次のはじまりでもある。

「何か」が、どんなことなのか?それはそれぞれが決めること。

今はちょうど学生さんなら卒業や修了から新学期、新生活などが待っているだろう。

また
恋がひとつ終われば、次はまた別の恋。
痛みの後には、ドラマティックやらロマンティックやらがやってきて忙しく
そのうち傷も癒えていく。

涙のあとには、ほほえみが
不幸のあとには、しあわせが

すべてのことは何も立ち止まることを知らないかの如く。

いつまでもこんなこと…苦しみ、痛み、悲しみは、続かない。
…と本当は私たちはみんな知っている。
そうと知っているなら、そのメロドラマ、恐怖映画は自分で終わらせてみたい。
自分の頭の中でリピートせず、静かに目を閉じてそのスイッチを切る。
今すぐに。

「忘れる」のではなく
「もうそこには私はいない。とっくに。」と実感すること。

心はつながっている。
だからもう遠慮せず
心がよろこぶことを、する。

きっとそれはカンタンにはできない、と言うだろう。
だから
いつでも自分をゆるすことをしていよう。

今この瞬間に終わり
今この瞬間にはじめよう

あの日から10年
本当はずっといつもあった平和
それに気づかせてくださったこと
これからも何度も思い出し
あの日旅立ったみなさまに
心から感謝できますように。

では今日の一曲

グッドバイからはじめよう – 佐野元春

佐野元春 1983年の10枚目のシングル。のちに自身初のベスト・コンピレーション・アルバム「No Damage」に収録された。
当時から「卒業ソング」として扱われることが多かったが、実は元春さんのおじいさまとの死別をモティーフに書かれたもの、とどこかで読んだ気がする。

この曲のあと、元春さんはニューヨークへ音楽留学(?)というカタチで日本を離れ創作活動に専念する。そして、その時間は翌年日本ロック史上に残る名盤「VISITORS」という大いなる実りとなり戻っていらした。

私は当時少し後追い的にファンになったのだが、「VISITORS」はこの時代のヒップホップやダンサブルなビートを重視した米国ロックに影響された最先端のサウンドを取り入れていた。それは「洋楽と邦楽」という分け方で音楽を聴いていた我々日本のドメスティックなリスナーにくさびを打ち込むかのような問題提起をした作品となっていたな、と思う。

この「VISITORS」以降の元春サウンドとそれ以前ではやはり大きな違いがあり、その後「Cafe Bohomia」では英国ニューウェイヴサウンドにアプローチしたりと、我々ファンに次々と新しい音楽との出会いを連れてきてくださり、時には戸惑い、しかしワクワクさせていただいたものだった。

だがやはりこの曲が発売された80年代初期の「アーリー元春」時代も私は愛している。実際にこの曲は私の実父が亡くなった時に自分のカラダにずっと響いていた。人生の迷いや岐路に立っていた時にはいつもどこかに元春さんの歌があったような気がする。

あの日から10年に際し、一体私に何が言えるだろう?と思った瞬間に
私の中にこの曲が響いた、というわけである。私のルーツのひとりを失ったあの日、と同じように。

そしてまた春がやってくる。
野にはつくしが伸びはじめ、もうすぐ桜が咲き、多くの花が開いてあちこちを彩るだろう。
そんな誰もが何気なく目にするありふれた風景を
私たちは見逃すことのないようにしたい。
あの日去っていったみなさんと、一緒に歌いながら。

あなたはよくこう言っていた
終わりは はじまり

「グッドバイからはじめよう」佐野元春


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