「59」のロウソクが立てられたバースデーケーキがテーブルに置かれている、あたたかみのある室内風景
 「50代ラストイヤー」が始まる朝。ほんのりあたたかい光の中で、静かに「自分のペース」をかみしめる。

おかげさまで先日、50代最後の誕生日を迎えました。
その日の自分の思いについては
noteに掲載した『くつろぎポスト番外編』をはじめ、各SNSに綴っています。
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これからゼロから始まる一年。
僕はいろんなカタチで『くつろぎの種』をお配りしたいと考えています。

芽を出すのも、実をつけるのも、
受け取った方々のご自由に。

普通なら『種は蒔くもの』だと思われるでしょう。
僕もずっと、そう思っていました。

でも『蒔く』という表現が、なぜか少し上から目線のような氣がしたのです。
種を蒔いたら、それを育てるのは誰でしょう?
おそらく『蒔いた本人』です。

芽を出し、果実を実らせるために丁寧に世話をする。
そこには、『成果を出す』という意識があります。
つまり『種を蒔く』という行為は
自分自身の成果を追い求めることに他なりません。

だから僕は、これからは
『種を配る』
ことにしました。

パソコンの画面から伸びた手が、手のひらいっぱいの種を差し出している様子
noteやブログ、ジャーナリング講座を通して──自分の中に育ててきた「種」をそっと手渡すように。

僕がこれまで生きてきて学んだこと、
体験して得てきたこと、
そこから育ったたくさんの『種』。

僕自身、めまぐるしい毎日の中で、
つい見失いがちな『本当の自分』を探してきました。
そうやって右往左往しながら学び続け、試行錯誤してたどり着いたものーー
それが僕にとっての『くつろぎ』という生き方です。

「くつろぎの種」ーー
それを受け取るも受け取らないも、みなさんの自由です。

もし受け取ってくださったなら、
その種をどう育てるかも、もちろん自由です。

じっくり芽を出して、その実りを楽しんでもらえたら、最高です。

もしかしたら中には、ご自分で『品種改良』して、もっと美味しい果実を作り出し、
また違う誰かにその新しい種をお配りする方も出てくるかもしれません。

そんなふうに、小さな循環が生まれていったら、
それこそ望外の喜びだなと思います。

両手に包まれたひと粒の種から芽が伸び、花やハートなどさまざまなカタチに育っている様子
受け取る人によって育ち方はさまざま。ときに実り、ときに循環してまた誰かの手へ──そんな小さな連鎖が生まれることを願って。

50代最後の一年。
僕の手元にある種たちが、どんなふうに広がっていくのか。
それを楽しみながら、ゆったりと見守っていきたいです。
種を受け取ってくださったみなさんとともに。

そして、きっとあなたの中にも、
あなただけが育てられる『種』があるはずです。

いつか、その種同士を交換するような交流が生まれたりしたら?

それもまたワクワクする楽しみやなぁ、と思っています。

(次回へ続く)

窓辺の木製テーブルに開いたノートとペン、蒸気の立つコーヒーカップ、観葉植物、膝掛けのある空間で、胸に手を当て深呼吸しながらペンを走らせる手元と上半身のシーン