攻撃という自傷行為

「女性蔑視」という言葉が少し前に話題になっていたようだ。
私は基本テレビはまったく観ず、新聞も読まない。
いわゆる大手マスコミのものはほぼ目にしていないので、このことをしばらく知らなかった。

総理経験もある古参の政治家が相当叩かれたようだ。
顛末をざっくり見てみると、正直私にはその方がなんだか少しだけ不憫のようにも思えた。

批判精神は大事だが

結局は立場を追われることになったわけだが、それにしても人の言葉というのはどちらに転んでも「怖いなぁ」というのが実感だ。
もちろん政治家なのだから一般の人とは違う、という言説もわからなくもない。彼らは基本、国や社会において責任のある立場だ。ある意味国を地域を代表する人間なのだからそれなりの品位が必要ということもあるだろう。

ひとつ思うには

後任の人は大変だなぁ、と。

あれくらいの強権イメージが強い人であってもこれほどあっさりと辞めてしまう。
…となると、次に一体誰がやるのか?と。

もし次に立つ人が


明るく人気のある人なら 「八方美人だ」「イヤミで鼻につく」
大人しい人なら 「覇気がない」「優柔不断だ」
若い人なら 「経験が足りない」「狡猾さも必要だ」

と、きっと言うだろう。

一体誰なら満足するのだろう。
否、本当は誰であっても満足できない、というのが本音だろう。

相手を攻撃したい。そんな時の自分とは

みんな攻撃がしたいのだ。自分が気に入らなければ。
辞任された方の是非はともかく、気に入らない。だから攻撃すべし、と。

だが、その自分というものほど
最も頼りなくあてにならない存在
と本当は心のどこかで知っている。
誰かを傷つけることは誰でもない自分自身を傷つけている。

そして例外なくそこには自分の過去の傷や痛みを持ち出して
さらに怒りや憎しみを上積みしている。

結局はその攻撃こそ自分自身への攻撃なのではないか。
気に入らぬ他者に対するその思いの向こうにはきっと
同時に無意識に自分をその他者の中に見ている。
弱く頼りない自分、認めてもらえなかった自分
かつて悲しい思いをしながら何もできなかった過去の自分に
怒りの刃を向けているかの如く。
それは悲しみにまみれた過去の自分への自傷行為そのものなのではないか、と。

真に満ち足りている人は他人を傷つけることがない。
自分を大切にしていることは他人を大切にしていることでもあるのだ。
そんな人はそもそも他人を攻撃する理由などない、のである。

では最後に、今日の一曲…

RAINY DAY WOMEN #12 & 35 – BOB DYLAN

ボブ・ディラン1966年の名盤「Blonde On Blonde」のトップを飾る曲。当時は2枚組のLPレコードだった。
ジャケットは見開きでタテに長く一枚に見えるようになっていて、当時としてはなかなか斬新だったのではないか、と思う。初めて聴いてから40年近くなるが未だにこのジャケはシビれる。このマフラーの巻き方を真似ようとしたけれど、こんなに細いマフラーがなくてうまくいかなかった…。

この曲のバースの決まり文句は「Everybody must get stoned」というフレーズで、「stoned」=「(ドラッグで)ハイになる」というスラングが流行していたことでこの曲は「ドラッグ・ソング」と言われるようになったが、ディラン本人が「私はドラッグ・ソングは一曲も書いたことがない」と説明。となるとこの曲は「石を投げる」という意味となり、どうやら宗教的な意をたぶんに含んでいる模様。(その点は「TAP THE POP」という音楽コラムサイトに詳細があるのでぜひご一読を。)

この年になって洋楽ファンであってもほぼ歌詞を理解しておらず、あたらめて知ろうとするとやはり「信仰」という言葉にぶち当たるのはとても興味深い。

ともあれ今日のような大雨の中「石もて打たれよ」とばかりに立ち尽くす人(女性)に対して、果たして我もまた石を持つことができようか。

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