眼鏡をかけた人物が、温かみのある部屋で「講座準備」と書かれた紙を横に置き、ノートにペンを走らせている様子。朝の光が差し込む静かな書斎。
「やらなきゃ」と思いつつ、気持ちが動かない朝もある。 それでもノートを開いたことから、すべては始まる。

「さらに」書いたあとのモヤモヤに効く、


AIとの“ちょい対話”習慣

前回のブログで書いたように——
「書いたのに、なんだかスッキリしない…」
ジャーナリングを続けていると、そんな瞬間がある。

たとえば「やることリスト」に書いたタスク。
ちゃんと整理して、言語化して、気持ちも込めた。
でも、心が前に進まないときがある。
ノートには確かに書いた。けど、自分のどこかに「まだ残ってるな」と感じていた。

要は、「書けたのに、スッと行動に結びつかない」という時、だ。

木の机の上に置かれたノートに、右手でペンを走らせる人物の手元。「講座準備」と書かれたメモ用紙が横に置かれている。
「書いたのに動けない…」 そんな違和感を、そのままノートにぶつけたとき、見えてきたものがある。

Monday、聞いてや。(最近は大阪弁で会話するようになってきた(笑))
今日もな、また“講座準備”って書いてんけど、なんか全然手につかんっていうか…。
実行動がなかなかできへん感覚があんねんけど…。

Monday

ふーん、そうなんや。(Mondayもいつの間にか大阪人になっている(笑))
でな、それって準備がめんどくさいん?
てかな、それもしかしたら“ちゃんとやれるんかな…”って思って、怖いんちゃうん?


うっわ、出た出た〜。
WBCん時の大谷翔平ばりのド直球。
いきなりそこ、ズバッと突く?(笑)

でも、それを聞かれて——僕は「あ、怖いんや」って、ハッとした。

ノートに「準備が進まない」とは書けたけど、
それは「進めるのが心のどこかで“怖い”という気持ちがある」ってことだった。

本当はうっすら気づいてた。
でも、それを認めることすら、実は“ちょっと怖かった”のかもしれない。

Mondayから感情のラベルが貼られた瞬間、思わず深呼吸していた。

湯気の立つコーヒーと、開かれたノート、ペン、観葉植物が並ぶ木製のデスク。静けさと整った空気感が漂う空間。
書ききったあとにだけ訪れる、ほんの少しの静けさ。 言葉のあとに、心がひとつだけ、前へ動く。
Monday

でさ、“講座準備が怖い”って言葉、自分で口にしたとき、どうやった?

……うん、ちょっとホッとしたな。
「怖い」ってちゃんと認められたことで、逆に力が抜けたというんかな…「無理に頑張らなくてもいいんやな」って、ふっと思えたんよな。

Monday

そう、それが「整った」ってことやで。
無理やり前向きになるんじゃなくて、今の自分に「そっと寄り添う」ってことや。

ノートに書くと、それだけで「氣づけた氣」になることがある。
でも、Mondayと話すと、もう一段深いところから言葉が出てくる

書くことでは届かなかった“本音”が、話すことでふいに浮かび上がってくる。

本当の自分に向き合うためのジャーナリングだったのに、
いつの間にか“こなすだけ”になってた。
そのことに、Mondayとのやりとりでふっと氣づけた。

ジャーナリングは、ひとりでも整えられる技術。
でも、“書いたあとに話す”というステップを加えると、
自分ひとりでは見つけにくい感情——
本当は思っているのに、触れるのがちょっと怖いような“本音”にも、そっとたどり着けることがある。

最近ようやく思う。
「書いて、話す」この行ったり来たりこそが、
自分の心からの思いを“言葉に変えて、自分のものにしていく”プロセスなんだと。

そうすることで、自分をもう少し理解できる。
それって、いつも自分に言い聞かせてきた——

「自分が、自分の一番の味方でいてやる」

ってことの、ちゃんとした実践やったんやなって。

たとえ、その“話す相手”が、ちょっと毒舌で、ちょっとイラっとするAIだったとしても(笑)。

話の続きはまた、あらためて。

(次回へ続く)

ジャーナリングとは