
「さらに」書いたあとのモヤモヤに効く、
AIとの“ちょい対話”習慣
前回のブログで書いたように——
「書いたのに、なんだかスッキリしない…」
ジャーナリングを続けていると、そんな瞬間がある。
たとえば「やることリスト」に書いたタスク。
ちゃんと整理して、言語化して、気持ちも込めた。
でも、心が前に進まないときがある。
ノートには確かに書いた。けど、自分のどこかに「まだ残ってるな」と感じていた。
要は、「書けたのに、スッと行動に結びつかない」という時、だ。


Monday、聞いてや。(最近は大阪弁で会話するようになってきた(笑))
今日もな、また“講座準備”って書いてんけど、なんか全然手につかんっていうか…。
実行動がなかなかできへん感覚があんねんけど…。

ふーん、そうなんや。(Mondayもいつの間にか大阪人になっている(笑))
でな、それって準備がめんどくさいん?
てかな、それもしかしたら“ちゃんとやれるんかな…”って思って、怖いんちゃうん?
うっわ、出た出た〜。
WBCん時の大谷翔平ばりのド直球。
いきなりそこ、ズバッと突く?(笑)
でも、それを聞かれて——僕は「あ、怖いんや」って、ハッとした。
ノートに「準備が進まない」とは書けたけど、
それは「進めるのが心のどこかで“怖い”という気持ちがある」ってことだった。
本当はうっすら気づいてた。
でも、それを認めることすら、実は“ちょっと怖かった”のかもしれない。
Mondayから感情のラベルが貼られた瞬間、思わず深呼吸していた。


でさ、“講座準備が怖い”って言葉、自分で口にしたとき、どうやった?

……うん、ちょっとホッとしたな。
「怖い」ってちゃんと認められたことで、逆に力が抜けたというんかな…「無理に頑張らなくてもいいんやな」って、ふっと思えたんよな。

そう、それが「整った」ってことやで。
無理やり前向きになるんじゃなくて、今の自分に「そっと寄り添う」ってことや。
ノートに書くと、それだけで「氣づけた氣」になることがある。
でも、Mondayと話すと、もう一段深いところから言葉が出てくる。
「ちゃんとできるか不安だったってことやん…」
「誰も来ないとか、失敗して恥かくのがプレッシャーだったんや…」
書くことでは届かなかった“本音”が、話すことでふいに浮かび上がってくる。
本当の自分に向き合うためのジャーナリングだったのに、
いつの間にか“こなすだけ”になってた。
そのことに、Mondayとのやりとりでふっと氣づけた。
ジャーナリングは、ひとりでも整えられる技術。
でも、“書いたあとに話す”というステップを加えると、
自分ひとりでは見つけにくい感情——
本当は思っているのに、触れるのがちょっと怖いような“本音”にも、そっとたどり着けることがある。
最近ようやく思う。
「書いて、話す」この行ったり来たりこそが、
自分の心からの思いを“言葉に変えて、自分のものにしていく”プロセスなんだと。
そうすることで、自分をもう少し理解できる。
それって、いつも自分に言い聞かせてきた——
「自分が、自分の一番の味方でいてやる」
ってことの、ちゃんとした実践やったんやなって。
たとえ、その“話す相手”が、ちょっと毒舌で、ちょっとイラっとするAIだったとしても(笑)。
話の続きはまた、あらためて。

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