ミニマリスト、という生き方。
どれくらい前か忘れたけれどそんな生き方があることをネットニュースかなにかで知ったのでした。
できるだけモノに囲まれた生活をしないで身の回りには最低限の必需品に絞り身軽にする。
「持たない暮らし」というヤツだそうです。
私も世間的にはシニアの部類にあたるので、先々のことを考えるといろいろモノを持ちすぎていることで周囲に迷惑をかけるかも知れないなぁ、と少々気がかりなところもありで。
そうなるとやはり「断捨離」を進めるしかないかなぁ、ということを考えたものでした。
いつのまにか断捨離が世界的ブームに
「断捨離」という言葉も今ではすっかり日常的に使われるようになりました。
私も「こんまり」さんの最初の本を出たばかりの頃に買って読んでやったりしていました。
当時読んでいたのはこちらの初版でしたが…
現在は改訂版が出ている模様。
マンガ版も出てたみたい…
余談ですが、こんまりさんご本人はその後ダンナさまのプロデュースにより、アメリカで「こんまりメソッド」を大流行させ、つい先日3人目のお子さんも産まれたそうです(2021年4月現在)。おめでとうございます。
自分で本格的にやり始めてわかったこと
さて、私に関しては自宅を出て実家での居候暮らしをし始めたここ3年ほど必要に迫られて断捨離を行いました。
着なくなった服はもちろんですが、成功を夢見て地図代わりにしていた多くの経営やマーケティング本、長らくコレクションしていたCDやアナログレコードなどその8割方を手放しました。
手放すには当然悩みや惜しみもありましたが、本は古本や図書館、Amazon Kindleの読み放題などで読めたものもたくさんありましたし、CDやレコードも手に入らない音源をバックアップしてしまえばほとんどがApple MusicやSpotifyなどの配信サービスで聴くことができます。
断捨離をしていて感覚的にわかったことがあります。
自分がいかにこだわりを持ってきたか。
そのこだわりというものは果たして本当に自分をしあわせにしてくれたのだろうか。
ということでした。
捨てられない、という怖れ
正直、相当に優柔不断な性格の私にとって「これ、もう要らない」という他人からしてみれば何ということのない小さな選択…否、決断ができたことはとても大きな出来事でした。
これは私だけではないかも知れませんが、人は多くのモノにいろいろな想い出をかぶせているように思います。まるで当たり前のように気づかぬうちに記念碑をたくさん作ってしまっているかのように。
その記念碑を自分で壊すなんて。手放すとはその過去の時間の残像みたいなものも同時に失うことになるのでは?
私はそれをどこかで怖れていたのです。
自分がどれほど過去の出来事に執着しているか。もうすでに目の前にないことにこだわり続け、浮かれたり怖れたりをどれほどしていたのだろうか、と気づいたのでした。
そんなこだわりは時に自分に足かせとなっていたのでした。それは同時に何もないけれど自由な今の自分を信じることのできない頼りなく、か細い心そのものだったのです。
ただ捨てるだけではない。奥が深い!
それに気づいてからというもの、捨てることへの怖れはずいぶんなくなったように思えます。
「なにもなくてもいい自分」を怖れることはない。なによりそのモノから思い出すさまざまな出来事たち、関わった人たち、そして今はもういないあの頃の自分にもねぎらいつつ、心の中でそっと感謝を告げながら。
断捨離とは「感謝とともに怖れを手放す」ことなのかもしれません。
そんなふうにしてみると断捨離とはまだまだ奥が深そうです。
いうてまだまだ部屋は…片付かずw
「ミニマリスト」にはまだまだ程遠いわ。
(Top Photo by Sarah Brown on Unsplash)
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