思えば生まれた頃から人って「評価」の中で生きてきているように思います。
生まれた時は毎日、親が無条件の笑顔で迎えてくれました。

それがいつしか
「静かにしなさい」「じっとしていなさい」「早くごはん食べなさい」
と段々と具体的な行動について「指示」されるような言葉になり
やがて学校へ行くようになると
「勉強しなさい」
「●●くん、△△さんを見習いなさい」
「なぜこんなことができないの?」

といった他者との比較から見る評価の中で生きていくことになります。

大人になっても…

社会人になれば、会社や顧客から常に評価されなければたちまち雇用不安の沼の中に足を取られてしまいます。インターネットは便利ですが、例えばネット通販なんかは消費者による「いいね」や「コメント」で商品・サービスの評価が示されます。それがマイナスに働くと廃業に追い込まれる場合も出てきました。
さらにSNSでは特定の人の言動や行動に対し多くの匿名者たちが誹謗中傷で攻撃をするなどし、生命の危機にさらされるようなことも最近では少なくありません。

そうして比較・評価の中で私たちはまるでどっぷり飼いならされてきたかのようです。
この社会に適応できなければドロップ・アウトもしくは攻撃対象。
たとえ気づいていても、長い時間をかけて沁みついてしまった考えや行動様式は「生きるための知恵」として無意識のうちに定着した「信念」めいたものとして機能し、もはや簡単には手放せくなってしまっているかのようです。

あの「無償の愛」とは、なんだったのだろう。
そんなものが果たして生まれてこの方あったことがあったのだろうか、とさえ思えてくるかもしれません。
この世で生きていくための「成長」という言葉と引き換えにまるで失われていくかのごとく、です。

…で、どうしたか

自分はいったい何が欲しかったのだろうか。
このような苦しみや悪意を望んでいただろうか。

私はそこで「認めてもらわなければ」という考えをやめてしまうことにしました。
それは「信念」めいたものなのですぐには難しいものでした。

なまじ自著を出版させていただいたり、ラジオ番組を持たせていただいたりしていたので

「人気が出なければ」
「好かれなければ」
「売れなければ」

とにかく人様からの「評価がなければ生きていけない」とさえ思っていました。

そして
3年前にフリーランスのビジネスから出稼ぎの派遣労働を始め
2年前にラジオの番組を辞めました。
昨年からは毎日のようにアップしていたSNSの一切を辞めました。

それぞれ自分なりですが本当に苦労しながら情熱を傾けてきたものばかりでしたが
前回書いたように、「手放す」ことができたこと

それは私にとってまさに

「失う恐怖」

そのものを手放す行為だったのでした。

そして、今の自分は

とても…ラクです。

とはいえ、日中の派遣労働は会社勤めなのでそこでは当然ノルマや評価はあります。

その辺に関してはボチボチまたあらためて。

いろんな状況やタイミングもあるかも知れませんが

今やっていることは本当に自分のためにやっているのか
誰かのことを気にしたり何かを怖れてやっていることではないか

常に見直してみることが必要なのかも知れません。

では、また次回。

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